まちをつくり続けた
鈴中の軌跡。

鈴中工業は、2020年で創業110年を迎えました。
この節目となる年に、これまでの歴史を振り返りながら
未来に向けての展望をお伝えします。

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明治
昭和
43年

創業
14年

二代目鈴木仲吉が後継

創業者
鈴木仲吉

初代鈴木仲吉の他界により、
次男 留治(とめじ)が二代目仲吉を襲名し
後継者となりました。

昭和14年

豊橋御油間白川橋梁径間変更工事

昭和13年

当時の蒲郡本店

明治43年。愛知県蒲郡市で、創業者 鈴木仲吉のもと
鈴中工業の前身となる愛知県指名請負人 鈴仲組が誕生しました。
港湾、道路、鉄道など、土木工事に加えて様々な建築工事にも手を広げ、
着実に総合建設会社としての基礎を固めていきます。
昭和14年、初代鈴木仲吉の他界により、次男 留治(とめじ)が
二代目仲吉を襲名、鈴中組の後継者となりました。
ここから鈴仲組は加速的に成長していきます。

平成
21年

鈴中工業株式会社設立
33年

名古屋支店開設
38年

東京都品川区に本店
本社を移転
42年

鈴木孝叔社長に就任
43年

愛知県蒲郡市に
本社を移転
45年

創業60周年
53年

鈴木啓允社長に就任
61年

名古屋市中村区に本社移転
6年

高橋治朗社長に就任
11年

愛知県蒲郡市に本店を移転

昭和21年に鈴仲組は「鈴中工業株式会社」に改組しました。
当時、日本は戦後からつづく高度経済成長期の真っ只中。
好景気の波を受け、土木・建築の受注量は右肩上がりとなり、
鈴中工業は仕事の枠も企業の規模も拡大していきました。
東京・砂町の水門工事、みとゴルフ倶楽部、名古屋のデザイン博など、
従来の実績の枠を超えた依頼にも見事に応えます。
昭和56年には売上100億円を突破。拠点も名古屋、東京、蒲郡へと移り変わる、
鈴中工業にとってまさに激動の時代でした。

当時の蒲郡本店

岡崎・乙川
架設竹橋建設工事

昭和30年

東京・砂町
水門建設工事

昭和37年

東京本社

蒲郡職業安定所
新築工事

昭和39年

孝叔社長就任祝賀会

昭和42年

鈴木自工
磐田工場建設工事

昭和42年

啓允社長就任

昭和53年

蒲郡竹島桟橋工事

昭和59年

アネックス大森ビル

みとゴルフ倶楽部

デザイン博 久屋大通モニュメント

デザイン博 若宮公園モニュメント

令和
12年

鈴木康仁社長に就任
22年

創業100周年
26年

名古屋本社移転
30年

蒲郡本店移転
元年

九州北部豪雨への災害支援

20世紀の終わりである平成12年、現社長である鈴木康仁が就任。
21世紀に向けた経営の抜本的改革に着手しました。
購買部を新設、共存共栄できる取引関係の構築、さらには受注審査、
施工検討、褒賞検討等各種委員会を設置し、合理的経営管理の徹底を進め、
筋肉質の企業を目指します。
また平成22年には創業100周年を迎え、社員とその家族を伴った社員旅行を実施。
中国、台湾、韓国そして九州熊本への旅路は部門を超えたつながりを生み、
その後、節目となる年に実施されることになります。

康仁社長就任祝賀会

平成12年

泊地浚渫

平成14年

第二東名高速道路
明星山高架橋下部工工事

平成14年

社員旅行

富士文化幼稚園新築工事

平成29年

NTCコンサルタンツ
技術研究所新築工事

平成30年

東日本大震災

平成23年

名古屋本社 丸の内

平成26年

蒲郡本店 元町

平成30年

九州北部豪雨

平成が終わり、令和となってからも鈴中工業の挑戦は終わりません。
愛知県芸術文化センター大ホール大規模改修工事、
海陽ヨットハーバー大屋根建設工事、名古屋港水族館改修工事、
蒲郡警察署新築工事など、愛知県を象徴する建築物を担当しました。
同時に、令和元年に起きた九州北部豪雨、台風19号といった天災発生時には
プロフェッショナル人材の派遣、物資輸送などの災害支援に参加。
まちをつくる役割だけでなく、まちを守る存在として、
今後よりその社会的責任を期待されています。

海陽ヨットハーバー大屋根建設工事

蒲郡警察署新築工事

名古屋水族館改修工事

蒲郡市役所耐震工事

愛知県芸術文化センター
大ホール大規模改修工事

2020年。
鈴中工業株式会社は、
へ。

創業から110周年の節目に、
鈴中工業株式会社はSUZUNAKAへと変わります。
従来の枠を超え、次代も求められ続ける企業へ。

まず110年という節目を迎えるにあたって、地域のみなさま、関係各社のみなさま、
何より社員一人ひとりに心からの感謝を伝えたいと思います。

建設会社にとって最大の生産設備であり、最高の財産は「人」です。
人がいなければトンネルを掘ることはおろか、柱いっぽん立ちません。
この原則を踏まえた上で、私たちは次の時代に向けてSUZUNAKAとして相応しい仕事の
品質基準である「SUZUNAKAスタンダード」を作り上げていこうとしています。

現場に立つすべての社員が、より安全に、より高い精度で、
これまで以上にお客さまに愛される仕事をする。
すでに具体的な指針も決めてあります。
SUZUNAKAとして絶対守るべき品質のチェック項目です。
ただ、これを守ればいい仕事ができるかといえば、もちろんそうではありません。

鈴中工業株式会社
代表取締役社長鈴木 康仁

SUZUNAKAスタンダードで時代を超えていく。

SUZUNAKAらしい仕事を創りだしていく。

私たちの根っこには、常日頃から社内で共有されている社訓の存在が欠かせません。
それは「創意と工夫」「立派な仕事」「感謝と和楽」の3つです。

社訓が生まれたのは半世紀近く昔のことです。高度経済成長期、会社がどんどん伸びている
時期に定められました。
拡大する中で、自分たちの向かうべき指針を決めたわけですね。
これらの言葉は、ただ受け取るのではなく、そこから自らの頭で考えなければいけません。
「どうすれば創意や工夫が生まれるのか」「何が自分たちにとって立派な仕事と言えるのか」
「感謝と和楽ある社内とは何か」

これらを一人ひとりが考えて、考え尽くして日々取り組む。
その先にSUZUNAKAらしい仕事があるのではないか。私はそう思っています。

変化し続けるのがSUZUNAKA。

いま、社会は大きく変わろうとしているし、私たちも同様に変化し続けていきます。例えばこれまでは新設工事が主体でしたが、昨今は維持・メンテナンス工事、リフォーム・リニューアル工事、さらに解体の仕事も増えてきました。

こうした流れを見極め、適応することは私たち110年の歴史で幾度となくありました。町の小さな土木請負業だった鈴仲組が、未知の工事に挑戦し、外へ外へと広がっていたように。変化がDNAに刻まれている。そして中心には揺らぐことのない社訓があり、誇るべきSUZUNAKAスタンダードがそれを支える。

次の150年、200年の節目に向かって歩き続ける私たちSUZUNAKAを、みなさまとともに盛り上げていきたい。ぜひご期待ください。

2020年の先も、ともに。

鈴中工業は、2020年で創業110年となりました。
この節目となる年に、これまでの歴史を振り返りながら
未来に向けての展望を語りたいと思います。