社長メッセージ

未来をあなたと

MESSAGE

蒲郡を、
ともにつくる人を、
お待ちしています。

生まれ育った蒲郡に、
根ざす。

私は蒲郡で生まれて、幼少期までをこの地で過ごしました。蒲郡駅には蒸気機関車が止まり、駅舎にはだるまストーブ、まだチッキ(鉄道の手荷物輸送)があった時代です。泳ぎを覚えたのも、叔父に背負われて行った竹島でした。小学校にあがったら東京に引越すことになりましたが、ふるさとの記憶として瞼に残っているのは蒲郡の情景です。
それから20年以上、東京で暮らしました。今は亡き父が、お台場の埋め立て現場や京浜工業地帯の水門の建設現場に連れて行ってくれたことを今でも思い出します。父の背中を見て育った自分にとって、卒業後に大手ゼネコンに入社したのちも、蒲郡で後を継ぐという未来はごく自然なものでした。そして戻ってきたのは33歳のとき。そこから今日まで、父たちが残してくれた鈴中工業を守るために、土地に根ざした愚直な経営を続けてきました。

時代に合わせて、
適応してきた110年。

曾祖父が興した鈴中工業は、今でこそ総合建設業者となりましたが、創業当時は屋根葺き屋でした。真面目に仕事をするうちに「側溝もできないか」「小屋はどうだ」と、いろいろな引き合いの声がかかるようになり、その一つひとつに応えていくうちに事業が拡大。ある時、国鉄から東海道線の指定業者として選ばれ、そこから会社としての基盤ができていきます。土木が中心の会社ではありましたが、土木工事が下火になった時は建築に向き合い、その逆のときは土木に力を入れ、結果として様々な建造物を作れるようになりました。
110年という長い時間を生き抜いてこられたのは、特定の分野だけに閉じてしまうことなく、需要のあるところに思い切って資材や人材を投入し、その都度ゼロから技術と経験を磨いてきたからでしょう。今では得意だと胸を張れる分野が10も20もあります。

町をつくってきた実績、
町を直していく未来。

私たちが手がけてきた物件は、海、山、川、陸と場所を選ばず、実に多種多様です。特に創業の地である蒲郡では、市役所や商工会議所、警察署や消防署に幹線道路など、町の核となる建物や設備の多くに鈴中の名が刻まれています。また、蒲郡に軸足を据えながら、名古屋、東京、浜松にも拠点を持ち、自分たちが持つノウハウを活かせる場所を常に模索し続けてきました。
そして、これからは新しいものばかりを作る時代から、古いものを残す時代になっていくでしょう。すでに売上の決して小さくない額が解体・メンテナンス工事に移り変わってきました。新設と改修では、技術もノウハウもまったく違うもの。この変化に向き合い、時代に即した道を進むのが鈴中あり方です。

技術は進化しても、
人が中心は変わらない。

AIが日々存在感を増している昨今、建設業界でもICTを活用した技術が次々と生まれています。VR技術も入ってきていますし、ドローンはすでに鈴中でも複数台が稼働しています。おそらく、ロボットで建設を行う時代も、遠い未来でもないのでしょう。しかし、どれほど便利になっても、人が中心であることは変わりません。私たちは、ものづくりへの想いを持った人を育みたい。特にこの三河という地域で、蒲郡という町に想いを込めて働ける人と一緒に歩んでいけたら、これほど嬉しいことはありません。
三河人は、徳川家康の頃から質実剛健と言われてきました。地味だけど真面目で、仕事をしっかりこなす。無口だけど、人懐っこい。そんな三河人の良さを備えつつ、鈴中工業はこれからも蒲郡に根ざした町づくりに取り組んで参ります。

鈴木 康仁Yasuhito Suzuki
代表取締役社長

座右の銘は、社訓の一つでもある「創意と工夫」。経営に対してはもちろん、何事にも自分らしさを出すことを常に心がけている。社員旅行も会社行事も、鈴中らしさを大切にしたい。
鉄道が大好き。学生時代にはジオラマも作っていた。旅に行くことも好きで、最近は2台目のミラーレス一眼レフを手に入れ、より遠出が楽しくなった。ストレス解消と体力づくりは鈴中に入ってから始めたゴルフ。鈴中が施工したゴルフ場で休日は汗を流す。この業界に身を置けた幸せに、ひたすら感謝の日々。